正座
今日の検証内容
・正座について
●正座について
日本の武道は「座り技」を重視しています。
特に正座にこだわりがあるようです。
管理人は正座が苦手なのであまり注目してこなかったのですが、座り技をやる上で最も重要なのが正座だ、と気づきました。
中国武術では同じ姿勢をキープする「タントウ功」という鍛錬方法があります。
昔は入門者はこればっかりやらされたそうで、冗談抜きで3年間立ち方しか教わらなかった人もいるそうです。
また達人と呼ばれる人も練功の中心に据えているようで、いかに重要かが伺えます。
日本の武道における正座とは、このタントウ功に相当するのだと考えられます。
正座もタントウ功も建築物に例えるならば建物を立つ「地面」なのだと思います。
湿地を埋め立てたような土地や、凸凹した所に建物を建てると、何かの拍子に崩壊したりするのはご存じの通りです。
武術にも同じ事が言えます。
しっかりした土台がなければどんな技も展開出来ないのです。
極論すれば、土台さえ強固なら技は必要ないとさえ言えるでしょう。
そこで今日は正座についていろいろ研究してみました。
まずは正しい座り方を検証です。
背骨、骨盤の位置、胸の形、手の位置、などあれこれ試してみます。
しっかり出来ているとヒザを下から持ち上げてもひっくり返らないそうですが、どうやってもひっくり返されます。
また、ひっくり返されないように踏ん張ると形自体がおかしくなります。
なかなか難しい。
いつも通り、技をやるときも正座に重点を置きます。
必ずその形の中に「要求」が求められているはずですので、それを満たしながら技を行わなければなりません。
今後も正座については最重要事項として研究を重ねていきたいと思います。
・正座について
●正座について
日本の武道は「座り技」を重視しています。
特に正座にこだわりがあるようです。
管理人は正座が苦手なのであまり注目してこなかったのですが、座り技をやる上で最も重要なのが正座だ、と気づきました。
中国武術では同じ姿勢をキープする「タントウ功」という鍛錬方法があります。
昔は入門者はこればっかりやらされたそうで、冗談抜きで3年間立ち方しか教わらなかった人もいるそうです。
また達人と呼ばれる人も練功の中心に据えているようで、いかに重要かが伺えます。
日本の武道における正座とは、このタントウ功に相当するのだと考えられます。
正座もタントウ功も建築物に例えるならば建物を立つ「地面」なのだと思います。
湿地を埋め立てたような土地や、凸凹した所に建物を建てると、何かの拍子に崩壊したりするのはご存じの通りです。
武術にも同じ事が言えます。
しっかりした土台がなければどんな技も展開出来ないのです。
極論すれば、土台さえ強固なら技は必要ないとさえ言えるでしょう。
そこで今日は正座についていろいろ研究してみました。
まずは正しい座り方を検証です。
背骨、骨盤の位置、胸の形、手の位置、などあれこれ試してみます。
しっかり出来ているとヒザを下から持ち上げてもひっくり返らないそうですが、どうやってもひっくり返されます。
また、ひっくり返されないように踏ん張ると形自体がおかしくなります。
なかなか難しい。
いつも通り、技をやるときも正座に重点を置きます。
必ずその形の中に「要求」が求められているはずですので、それを満たしながら技を行わなければなりません。
今後も正座については最重要事項として研究を重ねていきたいと思います。
コラム「一人一流」
武術には多数流派があります。
剣術一つとっても古くは香取神道流、中条流、陰流、念流、時代が下って新陰流、一刀流、示現流、心形刀流、天然理心流、など多くの流儀が生まれました。
なぜこれだけたくさんの流派が生まれたのか。
利を争うとか、地域性とか理由は様々でしょうが、「人間の差」によるものが最も重要な原因だと考えられます。
人間は先天的な能力に差があります。
また、体質、育った環境、性格、さらには運命まで一人として同じではありません。
共通の教えを受けても人によって捉え方は様々です。
パソコンで例えると基本仕様が違うと同じソフトが使えないので、それぞれのハードに合うようにソフトを移植する必要があります。
パソコンよりはるかに複雑な人間が「武術の技」というソフトウエアを使おうとするなら体に合わせた修正や、逆にプログラムに合わせた体の方の変更など、膨大な摺り合わせが必須となります。
自然、元々のソフトウエアから改変された「自分流」にならざるを得ないのです。
極論すれば、一人一人身につく武術は全く異なる「一人一流」であると言えるでしょう。
さて、一人一流になることは避けられないとして、その中でやってはいけないことがあると思います。
一つには色々寄せ集めて自己流にすることです。
これをやると、先のパソコンのソフトの例で言うならば、プログラムの切れ端を集めてくっつけただけのソフトウエアとは言えないシロモノになるでしょう。
きちんとした仕様に基づき設計されたプログラムとは比べものにならない事は想像できると思います。
また「こうした方がいい」と自分で変えるのもまずいでしょう。
武術というソフトウエアには根底に一貫した思想があり、そこに技術が肉付けされています。
それを理解しないで表面的に改変すると変えた部分が異物となり、全体を乱すバグになってしまう恐れがあります。
1つの正しい教えを忠実に守り、体が自然に変化していくのに任せれば、それが「世界唯一・自分流」になるのだと考えられます。
剣術一つとっても古くは香取神道流、中条流、陰流、念流、時代が下って新陰流、一刀流、示現流、心形刀流、天然理心流、など多くの流儀が生まれました。
なぜこれだけたくさんの流派が生まれたのか。
利を争うとか、地域性とか理由は様々でしょうが、「人間の差」によるものが最も重要な原因だと考えられます。
人間は先天的な能力に差があります。
また、体質、育った環境、性格、さらには運命まで一人として同じではありません。
共通の教えを受けても人によって捉え方は様々です。
パソコンで例えると基本仕様が違うと同じソフトが使えないので、それぞれのハードに合うようにソフトを移植する必要があります。
パソコンよりはるかに複雑な人間が「武術の技」というソフトウエアを使おうとするなら体に合わせた修正や、逆にプログラムに合わせた体の方の変更など、膨大な摺り合わせが必須となります。
自然、元々のソフトウエアから改変された「自分流」にならざるを得ないのです。
極論すれば、一人一人身につく武術は全く異なる「一人一流」であると言えるでしょう。
さて、一人一流になることは避けられないとして、その中でやってはいけないことがあると思います。
一つには色々寄せ集めて自己流にすることです。
これをやると、先のパソコンのソフトの例で言うならば、プログラムの切れ端を集めてくっつけただけのソフトウエアとは言えないシロモノになるでしょう。
きちんとした仕様に基づき設計されたプログラムとは比べものにならない事は想像できると思います。
また「こうした方がいい」と自分で変えるのもまずいでしょう。
武術というソフトウエアには根底に一貫した思想があり、そこに技術が肉付けされています。
それを理解しないで表面的に改変すると変えた部分が異物となり、全体を乱すバグになってしまう恐れがあります。
1つの正しい教えを忠実に守り、体が自然に変化していくのに任せれば、それが「世界唯一・自分流」になるのだと考えられます。
正しい姿勢
<今日の検証内容>
・手ほどき、当て身
・中心軸の形成、姿勢を正す
●手ほどき、当て身
基本に立ち返って最初の型を見直します。
同じ技を何百回とやってきましたが、やればやるほど新事実が浮かび上がってきて更新を迫られます。
おそらくこれからも変化し続けるでしょう。
今日特に重点的に検証したのは「顔当て」という技です。
掴まれた手を外して手刀で顔に反撃する、というオーソドックスな型ですが、追求していくと色々と見えなかった事が見えてきました。
腕を振るときに上半身の回転力を生かして手刀がムチのように飛んでいくようにします。
我々は先生から「手刀は当てるよりも引く方を早く」と教わりました。
これまでは隙を作らないための措置だと思われてきましたが、実は威力を生み出すのに理にかなった方法だと分かってきたのです。
自動車で衝突事故を起こした時、シートベルトをしていないと中に乗っている人間は慣性力によってフロントガラスを突き破って外へ放り出されます。
それと同じ理屈で、手刀を素早く引き戻すと当たった所から大きな「貫通力」が発生するようです。
ボクシングのジャブが当たると脳を突き抜けるような衝撃があるそうですが、それの手刀バージョンだと考えればいいでしょう。
今回の検証を意識的に盛り込んで打つと、顔を防御していた掌が押し込まれそうなぐらいに強い打撃力が得られました。
これに前回検証した「意識の集中」をプラスすると、更に強力な力が生み出せます。
よく時代劇で首筋に手刀を当てて気絶させる、というシーンがありますが、あれはウソではないと実感できました。
下手をすると気絶させるどころか絶命させてしまいかねません。
実際に打撃系の武術家の突きを手刀で払った際に相手の手首の骨が折れてしまった例があるそうで、型の要求を満たした時の威力は折り紙付きです。
●中心軸の形成
武術で一番肝心な所は「姿勢」でしょう。
自分の姿勢が崩れていてはそこを突かれて破綻します。
その姿勢の基準となるのが「軸」です。
実物として存在しない架空の線で、あらゆる動的重心の総和として体の中を貫いています。
様々な軸が考えられますが、中でも頭頂から背骨を通って土踏まずの間を抜けるものが最重要と思われます。
高岡英夫という人が提唱する「センター」の第3軸と呼ばれるものです。
これを元に動きが作られるのが最も効率が良い様です。
とりあえず、この軸を意識した上で技をやってみます。
「正息の法」という呼吸法に従った胸、背中の開きと背骨の伸ばし具合にヒントを求めました。
不思議な事に受け手が姿勢を正していると、攻撃側は何となく居心地が悪くなります。
武道の専門雑誌「秘伝」10月号に八光流柔術の師範の記事があり、そこに、
「自分が正しい姿勢で居続ければ、崩れるのは攻撃する方だ」
という様な言葉が書かれています。
そういう事なのかもしれません。
中国武術の太極拳とか八卦掌といった内家拳では、体を「要求」に従った形にして、そのまま敵を迎えます。
重要視されるのはそこからの技ではなく、形を維持することです。
(正確には体内の「勁力」の維持)
この辺り、考え方が共通します。
表面がツルツルしていて底面がしっかり固定された円錐に突っ込んでいくと、滑って勝手に転んでしまう、というようなイメージでしょうか。
こうした効果を出すには頂点からの鉛直軸が正確でなければならない事は言うまでもないでしょう。
これまでは技を出す土台として正しい姿勢を作る、という考え方でしたが、実は姿勢を正しくすること、それだけでいいのかも知れません。
根本的な考え方を変える必要がありそうです。
いかに正確な軸を形成し、そこから正しい姿勢を作るか。
これからのメインテーマです。
・手ほどき、当て身
・中心軸の形成、姿勢を正す
●手ほどき、当て身
基本に立ち返って最初の型を見直します。
同じ技を何百回とやってきましたが、やればやるほど新事実が浮かび上がってきて更新を迫られます。
おそらくこれからも変化し続けるでしょう。
今日特に重点的に検証したのは「顔当て」という技です。
掴まれた手を外して手刀で顔に反撃する、というオーソドックスな型ですが、追求していくと色々と見えなかった事が見えてきました。
腕を振るときに上半身の回転力を生かして手刀がムチのように飛んでいくようにします。
我々は先生から「手刀は当てるよりも引く方を早く」と教わりました。
これまでは隙を作らないための措置だと思われてきましたが、実は威力を生み出すのに理にかなった方法だと分かってきたのです。
自動車で衝突事故を起こした時、シートベルトをしていないと中に乗っている人間は慣性力によってフロントガラスを突き破って外へ放り出されます。
それと同じ理屈で、手刀を素早く引き戻すと当たった所から大きな「貫通力」が発生するようです。
ボクシングのジャブが当たると脳を突き抜けるような衝撃があるそうですが、それの手刀バージョンだと考えればいいでしょう。
今回の検証を意識的に盛り込んで打つと、顔を防御していた掌が押し込まれそうなぐらいに強い打撃力が得られました。
これに前回検証した「意識の集中」をプラスすると、更に強力な力が生み出せます。
よく時代劇で首筋に手刀を当てて気絶させる、というシーンがありますが、あれはウソではないと実感できました。
下手をすると気絶させるどころか絶命させてしまいかねません。
実際に打撃系の武術家の突きを手刀で払った際に相手の手首の骨が折れてしまった例があるそうで、型の要求を満たした時の威力は折り紙付きです。
●中心軸の形成
武術で一番肝心な所は「姿勢」でしょう。
自分の姿勢が崩れていてはそこを突かれて破綻します。
その姿勢の基準となるのが「軸」です。
実物として存在しない架空の線で、あらゆる動的重心の総和として体の中を貫いています。
様々な軸が考えられますが、中でも頭頂から背骨を通って土踏まずの間を抜けるものが最重要と思われます。
高岡英夫という人が提唱する「センター」の第3軸と呼ばれるものです。
これを元に動きが作られるのが最も効率が良い様です。
とりあえず、この軸を意識した上で技をやってみます。
「正息の法」という呼吸法に従った胸、背中の開きと背骨の伸ばし具合にヒントを求めました。
不思議な事に受け手が姿勢を正していると、攻撃側は何となく居心地が悪くなります。
武道の専門雑誌「秘伝」10月号に八光流柔術の師範の記事があり、そこに、
「自分が正しい姿勢で居続ければ、崩れるのは攻撃する方だ」
という様な言葉が書かれています。
そういう事なのかもしれません。
中国武術の太極拳とか八卦掌といった内家拳では、体を「要求」に従った形にして、そのまま敵を迎えます。
重要視されるのはそこからの技ではなく、形を維持することです。
(正確には体内の「勁力」の維持)
この辺り、考え方が共通します。
表面がツルツルしていて底面がしっかり固定された円錐に突っ込んでいくと、滑って勝手に転んでしまう、というようなイメージでしょうか。
こうした効果を出すには頂点からの鉛直軸が正確でなければならない事は言うまでもないでしょう。
これまでは技を出す土台として正しい姿勢を作る、という考え方でしたが、実は姿勢を正しくすること、それだけでいいのかも知れません。
根本的な考え方を変える必要がありそうです。
いかに正確な軸を形成し、そこから正しい姿勢を作るか。
これからのメインテーマです。
一点集中
<今日の検討内容>
・利き腕空間の利用
・意識の一点集中
・ドライバーの原理
・姿勢を正す(背骨・背中の意識化)
●利き腕空間の利用
例えば右利きの人が真正面よりちょっと左側にあるものを取ろうとする時、大抵の人は左手で取ろうとせず、体を回して右手で取ろうとするそうです。
これは右利きの人は非対称的に自分の右側の空間の方が意識が濃いためで、無意識に得意な空間の方を使おうとするためです。
左利きの人は逆に左側の意識が濃くなります。
これを利用して相手の外側でなく、内側に入り込んで反撃できないものか、検討してみました。
合気道などの打ち込みは右手を振り下ろす場合、右半身になります。
普通は半身になった相手の背中側に回り込むのですが、合気道の場合、内側に入身する技もあります。
これなどは得意空間の逆を突く、という意味があるのでは?と考えたのです。
合気道などのように半身になるものは有効かもしれないが、空手やボクシングなど、相手に対して正対するものの場合、内側に入り込むともう一方の手のエジキになりかねないのでは?という指摘をMさんから受けました。
結局、安全を期す為に、なるべく外側にかわす方がいい、という結論になりましたが、練習後にもう一つアイデアが浮かんだので、次回試してみようと思います。
●意識の一点集中
相手との接点を意識でなるべく狭くして、そこを作用点として軸を作ったり攻めたりしよう、という基本技術です。
例えば手首を掴まれた時、上へ引き抜いて外すならば相手の手の内全体に力を拡散していった方が外れやすいです。
しかし、接点を「意識」である1点に集中させると、相手の手が張り付いたまま取れなくなります。
このまま上げていくと相手は離すことも出来ず、無理な体勢のまま上へ引き上げられていきます。
(合気上げの様な感じ)
投げ技に応用する場合。
手を掴まれた時、自分の手の甲の1点に意識を集中して相手を押してやると、なぜか相手はその1点に向かってこちらを押し返してきます。
この時、相手はこの1点を押し返すのに夢中になり、手を離すことも体勢を立て直す事も考えられなくなるみたいです。
ここで作った意識の1点を通る軸を相手の体まで伸ばし、この軸周りに手首を回転させると相手はその方向に投げ飛ばされます。
意識で作った点が小さいほど、技にかける時間が短いほど、うまく投げられる様です。
この意識の一点集中はほとんど全ての技に応用でき、今までのやり方を根本的に見直さなければならないぐらいの重要度を秘めています。
●ドライバーの原理
握り拳を突き出して力を込めているとき、これを両手で掴んで捻ろうとしてもなかなか回すことは出来ません。
しかし、拳を両手で包んで腕の方へ真っ直ぐ押しながらだと回ります。
人間は一度に一つの方向にしか対応できません。
そこで、関係ない方向に強く押して注意を向けておき、別の方向から目的の力を掛けてやる訳です。
ネジを回すドライバーは、回すよりも押す方に力を掛けないとねじ山が潰れてしまい、ネジが締まりません。
この技も同じようなコツなので「ドライバーの原理」と名付けました。
胸押さえ、腕押さえ、木葉返し、など手や腕を捻って逆手にする技に応用できると思います。
先の1点集中を併用したらさらに技が効きそうです。
●姿勢を正す(背骨、背中の意識化)
武術の力の出所として重要なのは体の前面よりも背面側です。
しかし、人間は前面の方が意識が濃く、背中側はほとんど意識しないので必然的に使えない状態になっています。
背骨に意識を通さないと肩の力が抜けませんし、肩が落ちないと体幹の力が伝わりにくくなります。
そこで背骨、背中に意識を持つにはどうしたらいいか、検討しました。
数々の鍛錬方法や整体法を見るに、上方向に伸ばす運動が有効な様です。
また、呼吸法で胸と下腹を動かす事で背骨を引っ張るような意識が出来そうです。
一番刺激が加わりそうなのが「ぶら下がり」ではないか?との意見も出ました。
背骨の際をさすったり押したりするのも有効そうです。
今後は背中側の鍛錬についても追求して行こうと思います。
・利き腕空間の利用
・意識の一点集中
・ドライバーの原理
・姿勢を正す(背骨・背中の意識化)
●利き腕空間の利用
例えば右利きの人が真正面よりちょっと左側にあるものを取ろうとする時、大抵の人は左手で取ろうとせず、体を回して右手で取ろうとするそうです。
これは右利きの人は非対称的に自分の右側の空間の方が意識が濃いためで、無意識に得意な空間の方を使おうとするためです。
左利きの人は逆に左側の意識が濃くなります。
これを利用して相手の外側でなく、内側に入り込んで反撃できないものか、検討してみました。
合気道などの打ち込みは右手を振り下ろす場合、右半身になります。
普通は半身になった相手の背中側に回り込むのですが、合気道の場合、内側に入身する技もあります。
これなどは得意空間の逆を突く、という意味があるのでは?と考えたのです。
合気道などのように半身になるものは有効かもしれないが、空手やボクシングなど、相手に対して正対するものの場合、内側に入り込むともう一方の手のエジキになりかねないのでは?という指摘をMさんから受けました。
結局、安全を期す為に、なるべく外側にかわす方がいい、という結論になりましたが、練習後にもう一つアイデアが浮かんだので、次回試してみようと思います。
●意識の一点集中
相手との接点を意識でなるべく狭くして、そこを作用点として軸を作ったり攻めたりしよう、という基本技術です。
例えば手首を掴まれた時、上へ引き抜いて外すならば相手の手の内全体に力を拡散していった方が外れやすいです。
しかし、接点を「意識」である1点に集中させると、相手の手が張り付いたまま取れなくなります。
このまま上げていくと相手は離すことも出来ず、無理な体勢のまま上へ引き上げられていきます。
(合気上げの様な感じ)
投げ技に応用する場合。
手を掴まれた時、自分の手の甲の1点に意識を集中して相手を押してやると、なぜか相手はその1点に向かってこちらを押し返してきます。
この時、相手はこの1点を押し返すのに夢中になり、手を離すことも体勢を立て直す事も考えられなくなるみたいです。
ここで作った意識の1点を通る軸を相手の体まで伸ばし、この軸周りに手首を回転させると相手はその方向に投げ飛ばされます。
意識で作った点が小さいほど、技にかける時間が短いほど、うまく投げられる様です。
この意識の一点集中はほとんど全ての技に応用でき、今までのやり方を根本的に見直さなければならないぐらいの重要度を秘めています。
●ドライバーの原理
握り拳を突き出して力を込めているとき、これを両手で掴んで捻ろうとしてもなかなか回すことは出来ません。
しかし、拳を両手で包んで腕の方へ真っ直ぐ押しながらだと回ります。
人間は一度に一つの方向にしか対応できません。
そこで、関係ない方向に強く押して注意を向けておき、別の方向から目的の力を掛けてやる訳です。
ネジを回すドライバーは、回すよりも押す方に力を掛けないとねじ山が潰れてしまい、ネジが締まりません。
この技も同じようなコツなので「ドライバーの原理」と名付けました。
胸押さえ、腕押さえ、木葉返し、など手や腕を捻って逆手にする技に応用できると思います。
先の1点集中を併用したらさらに技が効きそうです。
●姿勢を正す(背骨、背中の意識化)
武術の力の出所として重要なのは体の前面よりも背面側です。
しかし、人間は前面の方が意識が濃く、背中側はほとんど意識しないので必然的に使えない状態になっています。
背骨に意識を通さないと肩の力が抜けませんし、肩が落ちないと体幹の力が伝わりにくくなります。
そこで背骨、背中に意識を持つにはどうしたらいいか、検討しました。
数々の鍛錬方法や整体法を見るに、上方向に伸ばす運動が有効な様です。
また、呼吸法で胸と下腹を動かす事で背骨を引っ張るような意識が出来そうです。
一番刺激が加わりそうなのが「ぶら下がり」ではないか?との意見も出ました。
背骨の際をさすったり押したりするのも有効そうです。
今後は背中側の鍛錬についても追求して行こうと思います。
コラム「非常識合戦」
我々は見たモノをそのまま認識している訳ではないそうです。
目を通った映像は脳に送られ、そこで理解可能な画像に処理してから始めて「見た」事になります。
例えば机の上にあるものを普通に見たときも、顔を傾けて見たときも同じように見えるのは、目からの情報を脳で座標変換して同じものに見えるようにしているからです。
もし単に映ったままが認識されるなら、机の上のものは色々な角度からの視点の絵になるはずです。
カメラを傾けて撮ってみれば分かるでしょう。
つまり、我々が見ているものは常に「作られた映像」なのです。
映画のように撮ったものを編集し直して分かりやすい作品にしています。
そして、この編集作業の基本になっているのが「常識」です。
目に限らず、全ての感覚は自分の経験から蓄積された「常識」を元に認識、判断しているのです。
もし道を歩いているとき、横をピンクの水玉模様のゾウが時速500キロで駆け抜けて行ったら、普通の人は何か通ったのは認めますが、それが何であるかまでは理解できないでしょう。
目では捉えている筈ですが、脳が「ありえない」として画像化出来ないからです。
一般に人間は常識外の出来事を「無かったことにする」みたいです。
武術はこうした人間の常識誤差を利用しています。
相手にとって非常識な動きや感覚を与えると、理解不能になって何がなんだか分からなくなりますから、そこを突く訳です。
それも常識の誤差が大きいほど良いです。
我々武術を練習する者は日々非常識を練っていると言っても過言ではないでしょう。
一例をあげると「消える動き」があります。
目の前にいた人がフッと消えるような感じがする動き方ですが、第3者が見ていても絶対スピードはそれ程速くないのに、対峙している人には一瞬でいなくなったように見えます。
これなどは正しく非常識な運動の例です。
私が記憶している中で一番分かりやすかったのは、武術ではなくサッカーのワールドカップでブラジルのロナウドがディフェンダーと1対1になった時のシーンです。
ディフェンダーは腰を落として万全の体勢を取っているのにロナウドはボーッと突っ立ったままでした。
しかし、次の瞬間、一気に右からスパッと抜いていったのです。
ディフェンダーは「えっ?」という顔でキョロキョロしていたので、何が起こったのか全くわからなかったのでしょう
多分彼にはロナウドが一瞬の内に消えたようにみえたはずです。
ディフェンダーとロナウドの常識の差、つまりは身体能力の差がはっきり見えたシーンでした。
私自身も経験があります。
中国武術で拳で相手の顔を突き上げる技を習った時の事です。
実際にどう使うか先生に聞いたら、先生は2メートルぐらい私から離れた所に立って「こうだよ」と言って間を置いた後、私に向かって技をやってみせてくれました。
私は先生をずっと見ていたのですが、気がついた時には鼻先に先生の拳が止まっており、その間の動きは全く見えませんでした。
いきなりどアップになった先生の拳に背筋がぞーっとしたのを未だに憶えています。
これらは「予備動作」が全くない非常識な動きであると思います。
普通我々は歩くとき、走るとき、足で地面を蹴って前に進みます。
しかし、ロナウドや中国武術の先生はそうではなく、重力、つまり自分が下へ落ちる力を推力に変換しているのです。
地面を蹴ると、どうしても一瞬力を溜める動作が入ります。
対してモノが落ちる時にはタイムラグがありません。
そのわずかな時間の差を使えるか使えないかが常識的な動きになるか、非常識な動きになるかの瀬戸際なのでしょう。
武術はこうした非常識の積み重ねの上に成り立っています。
いかに非常識か。
それが武術家同志の実力の差にもなるのです。
先のゾウの例で言えば、ピンクの水玉模様の500キロで走れるゾウを知っていれば、横を駆けていったのがそいつである、と認識出来ます。
武術の身体操作に関してもそれが常識になってしまえば、同じ動きを出来る相手なら対応可能になるので日々非常識を常識に変えるべく稽古する訳なのです。
目を通った映像は脳に送られ、そこで理解可能な画像に処理してから始めて「見た」事になります。
例えば机の上にあるものを普通に見たときも、顔を傾けて見たときも同じように見えるのは、目からの情報を脳で座標変換して同じものに見えるようにしているからです。
もし単に映ったままが認識されるなら、机の上のものは色々な角度からの視点の絵になるはずです。
カメラを傾けて撮ってみれば分かるでしょう。
つまり、我々が見ているものは常に「作られた映像」なのです。
映画のように撮ったものを編集し直して分かりやすい作品にしています。
そして、この編集作業の基本になっているのが「常識」です。
目に限らず、全ての感覚は自分の経験から蓄積された「常識」を元に認識、判断しているのです。
もし道を歩いているとき、横をピンクの水玉模様のゾウが時速500キロで駆け抜けて行ったら、普通の人は何か通ったのは認めますが、それが何であるかまでは理解できないでしょう。
目では捉えている筈ですが、脳が「ありえない」として画像化出来ないからです。
一般に人間は常識外の出来事を「無かったことにする」みたいです。
武術はこうした人間の常識誤差を利用しています。
相手にとって非常識な動きや感覚を与えると、理解不能になって何がなんだか分からなくなりますから、そこを突く訳です。
それも常識の誤差が大きいほど良いです。
我々武術を練習する者は日々非常識を練っていると言っても過言ではないでしょう。
一例をあげると「消える動き」があります。
目の前にいた人がフッと消えるような感じがする動き方ですが、第3者が見ていても絶対スピードはそれ程速くないのに、対峙している人には一瞬でいなくなったように見えます。
これなどは正しく非常識な運動の例です。
私が記憶している中で一番分かりやすかったのは、武術ではなくサッカーのワールドカップでブラジルのロナウドがディフェンダーと1対1になった時のシーンです。
ディフェンダーは腰を落として万全の体勢を取っているのにロナウドはボーッと突っ立ったままでした。
しかし、次の瞬間、一気に右からスパッと抜いていったのです。
ディフェンダーは「えっ?」という顔でキョロキョロしていたので、何が起こったのか全くわからなかったのでしょう
多分彼にはロナウドが一瞬の内に消えたようにみえたはずです。
ディフェンダーとロナウドの常識の差、つまりは身体能力の差がはっきり見えたシーンでした。
私自身も経験があります。
中国武術で拳で相手の顔を突き上げる技を習った時の事です。
実際にどう使うか先生に聞いたら、先生は2メートルぐらい私から離れた所に立って「こうだよ」と言って間を置いた後、私に向かって技をやってみせてくれました。
私は先生をずっと見ていたのですが、気がついた時には鼻先に先生の拳が止まっており、その間の動きは全く見えませんでした。
いきなりどアップになった先生の拳に背筋がぞーっとしたのを未だに憶えています。
これらは「予備動作」が全くない非常識な動きであると思います。
普通我々は歩くとき、走るとき、足で地面を蹴って前に進みます。
しかし、ロナウドや中国武術の先生はそうではなく、重力、つまり自分が下へ落ちる力を推力に変換しているのです。
地面を蹴ると、どうしても一瞬力を溜める動作が入ります。
対してモノが落ちる時にはタイムラグがありません。
そのわずかな時間の差を使えるか使えないかが常識的な動きになるか、非常識な動きになるかの瀬戸際なのでしょう。
武術はこうした非常識の積み重ねの上に成り立っています。
いかに非常識か。
それが武術家同志の実力の差にもなるのです。
先のゾウの例で言えば、ピンクの水玉模様の500キロで走れるゾウを知っていれば、横を駆けていったのがそいつである、と認識出来ます。
武術の身体操作に関してもそれが常識になってしまえば、同じ動きを出来る相手なら対応可能になるので日々非常識を常識に変えるべく稽古する訳なのです。




