コラム「九九のように」

選挙で施設が使えなかったり、人が集まらなかったりで今月はあまり稽古できませんでした。
しょんぼりです。
という訳で、久々にコラムを書きます。


私たちは普通に義務教育を受けていれば大抵「九九」を憶えています。
それも「体で憶えている」というぐらい、しっかりと定着しているはずです。
小さい頃から「ににんが4、にさんが6・・・」と唱えてきたおかげで「2×2」という問題を見た瞬間に「4」という答えが出てきますし、大きな桁の掛け算も、「何割引」とかの計算も出来るのです。
もし九九を憶えていなかったら日常生活に支障をきたすでしょう。

この「九九」は、理屈抜きで憶えさせられます。
なぜなら「これを憶えていないと計算が出来ない」からです。
それも1×1から9×9までが瞬時に思い浮かぶぐらいでないと、その先の算数などおぼつきません。
それぐらい計算の基本中の基本なので「とにかく憶える」という訳です。

武術の基本は、まさに九九みたいなものだと思います。

不可思議に見える武術の技は、分解してみるとシンプルな動きの組み合わせで成り立っている事が分かります。
例えば、両手を上から押さえ込まれた時「合気上げ」でリフトする場合を考えてみます。
見た目には下からすくい上げているだけに見えますが、そういうつもりでやっても絶対上がりません。
人間の対応力は非常にすぐれているため、相手の行動に合わせて逃げたり抵抗したりするからです。
この例で言うと「すくい上げる」という単純なベクトルを察して、打ち消す方向に力を込めたり、手を外して逃げてしまうでしょう。

しかし単純な動きでも、いくつか組み合わせたらどうでしょう?
「合気上げ」の一連の動作をバラバラにすると、
①手を張って相手の反応を引き出す
②体を真下に沈める
③掴ませた腕を肩甲骨ごとロールバックさせる
④前に半歩歩く
⑤腕をロールアップさせる
⑥体を真上に上げる
という様になります。

1つ1つはシンプルな動作なので、単発では対応されてしまいますが、①から⑥それぞれを同時に行ったらどうなるか。
人間は意識下では1つのことにしか注意を向けられないので、6つも同時に進行した場合、ワーキングメモリーがいっぱいになって大混乱に陥ります。
また、6つの同時動作から生まれる合成ベクトルは、やった本人にすらどこに向かうか、どのくらいの大きさか分からないので、相手には尚更理解できないものとなります。
結果、掴んだ相手は不利な体勢に固まったまま、爪先立ちにさせられてしまうのです。
神秘の技の数々は、こうした単純動作の同時進行で生成されると考えられます。

問題は、シンプルな動きとは言え同時にできるかどうか、です。
頭で考えながらなど、とても出来ない事はやってみると分かるでしょう。
そうなると、1つ1つを体が自動的にやるように訓練しておいて、場面に応じて統制するのがベスト、ということになります。

もうお分かりかと思いますが、このシンプルな動作を自動的に行う訓練こそ武術でいうところの「基本練習」です。
この基本練習がどのくらい必要かというと、頭で考えなくても体が勝手にやってしまうぐらい、です。

昔日の武術家が毎日ひたすら同じ姿勢で立ち続けたり、円周をいつまでもぐるぐる歩いたり、同じ動作を何回も何回もやらされたのは、別に先生の嫌がらせではなく「基本が身についていないとその先を教えようが無かったから」ではないでしょうか。
「九九」を憶えていないと掛け算・割り算が出来ないのと同じように、です。

今も昔も人間の体の構造は変わらないはずなので、よっぽど革新的なトレーニング方法が考案されない限り、達人になった人と同じ様な訓練をするしか上手になる方法はないと思われます。

例え人をびっくりさせる様な応用技だけ出来るようになっても、それがとっさに出てこなければ身を守る武術としては使えません。
応用技はそれが使えるシーン限定、という所がありますので、ちょっと状況が変わると応用技のくせに応用出来なくなってしまいます。
「技は華麗だけど身は守れない」なんて武術としてナンセンスとしか言いようがないです。
そうした応用技をいくつも体に染みこませるのはあまりに効率が悪すぎる。
それよりも「シンプルな動き」をいくつか、パッと出るように訓練して組み合わせた方が本当の意味で応用が効くはずです。

「九九」という単純な法則を憶えなければ高等数学が出来ないように、武術でも基本が体に染み付いていなければ、いくら秘伝を学んでも実際に使うことが出来ません。
「九九」を唱えるように、武術も基本をしっかりやり込むのが遠いようで実は近道なのではないでしょうか。

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