コラム「非常識合戦」

我々は見たモノをそのまま認識している訳ではないそうです。
目を通った映像は脳に送られ、そこで理解可能な画像に処理してから始めて「見た」事になります。

例えば机の上にあるものを普通に見たときも、顔を傾けて見たときも同じように見えるのは、目からの情報を脳で座標変換して同じものに見えるようにしているからです。
もし単に映ったままが認識されるなら、机の上のものは色々な角度からの視点の絵になるはずです。
カメラを傾けて撮ってみれば分かるでしょう。

つまり、我々が見ているものは常に「作られた映像」なのです。
映画のように撮ったものを編集し直して分かりやすい作品にしています。
そして、この編集作業の基本になっているのが「常識」です。
目に限らず、全ての感覚は自分の経験から蓄積された「常識」を元に認識、判断しているのです。

もし道を歩いているとき、横をピンクの水玉模様のゾウが時速500キロで駆け抜けて行ったら、普通の人は何か通ったのは認めますが、それが何であるかまでは理解できないでしょう。
目では捉えている筈ですが、脳が「ありえない」として画像化出来ないからです。
一般に人間は常識外の出来事を「無かったことにする」みたいです。

武術はこうした人間の常識誤差を利用しています。
相手にとって非常識な動きや感覚を与えると、理解不能になって何がなんだか分からなくなりますから、そこを突く訳です。
それも常識の誤差が大きいほど良いです。
我々武術を練習する者は日々非常識を練っていると言っても過言ではないでしょう。

一例をあげると「消える動き」があります。
目の前にいた人がフッと消えるような感じがする動き方ですが、第3者が見ていても絶対スピードはそれ程速くないのに、対峙している人には一瞬でいなくなったように見えます。
これなどは正しく非常識な運動の例です。

私が記憶している中で一番分かりやすかったのは、武術ではなくサッカーのワールドカップでブラジルのロナウドがディフェンダーと1対1になった時のシーンです。
ディフェンダーは腰を落として万全の体勢を取っているのにロナウドはボーッと突っ立ったままでした。
しかし、次の瞬間、一気に右からスパッと抜いていったのです。
ディフェンダーは「えっ?」という顔でキョロキョロしていたので、何が起こったのか全くわからなかったのでしょう
多分彼にはロナウドが一瞬の内に消えたようにみえたはずです。
ディフェンダーとロナウドの常識の差、つまりは身体能力の差がはっきり見えたシーンでした。

私自身も経験があります。
中国武術で拳で相手の顔を突き上げる技を習った時の事です。
実際にどう使うか先生に聞いたら、先生は2メートルぐらい私から離れた所に立って「こうだよ」と言って間を置いた後、私に向かって技をやってみせてくれました。
私は先生をずっと見ていたのですが、気がついた時には鼻先に先生の拳が止まっており、その間の動きは全く見えませんでした。
いきなりどアップになった先生の拳に背筋がぞーっとしたのを未だに憶えています。

これらは「予備動作」が全くない非常識な動きであると思います。
普通我々は歩くとき、走るとき、足で地面を蹴って前に進みます。
しかし、ロナウドや中国武術の先生はそうではなく、重力、つまり自分が下へ落ちる力を推力に変換しているのです。
地面を蹴ると、どうしても一瞬力を溜める動作が入ります。
対してモノが落ちる時にはタイムラグがありません。
そのわずかな時間の差を使えるか使えないかが常識的な動きになるか、非常識な動きになるかの瀬戸際なのでしょう。

武術はこうした非常識の積み重ねの上に成り立っています。
いかに非常識か。
それが武術家同志の実力の差にもなるのです。
先のゾウの例で言えば、ピンクの水玉模様の500キロで走れるゾウを知っていれば、横を駆けていったのがそいつである、と認識出来ます。
武術の身体操作に関してもそれが常識になってしまえば、同じ動きを出来る相手なら対応可能になるので日々非常識を常識に変えるべく稽古する訳なのです。
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