スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コラム「良い師を求める・その2」

前回「その1」では技術面から良い先生の条件を考察してみました。
その2はズバリ「人間性」です。
精神的に成熟している人か。
これは聖人君子かどうかではなく、自分の心の弱さをしっかり受け入れているか、という事です。

なぜ第一に人間性を持ってこなかったかと言うと、武術の先生でありながら武術がヘタクソなのはナンセンスだからです。
身体と心の両面に大きな影響を与える鍛錬体系を中途半端な人間が教えるのは危険です。
特に東洋の武術は訓練の過程で意識の変容が起こるので、こうした過程を経験した人でないと生徒が横道に逸れたときに対処できません。
あるレベルに至っている先生は、正しい教えを受けた上に自身も試行錯誤を繰り返して危険な面も十分承知しているので、まずは技術面のクリアーを最初の条件にした訳です。

それに「どうやっても敵わない人がいる」というのは上を目指し続けるエネルギーになりますし、自分が増長するのを防げますから、上手な先生に習うに越した事はないと思います。

さて、上記の事を踏まえて「人間性」です。

日本に広く中国武術を紹介された松田隆智氏の著書の中に、
「空手は君子の武術と言われるが、空手をやると君子になるのではなく、空手をやるのは君子に限る、という意味だ」
という一文があります。
これは武術を学ぶ人すべてに向けた戒めではないかと思います。

例えば、俳句の達人がキレて大暴れしても、数人で取り押さえれば何とかなるでしょう。
(決して俳句の先生を貶めている訳ではないのでどうぞご理解ください)
しかし武術の達人が暴れたら、相当困るのではないでしょうか。

ちなみに達人がどのくらい凄いか一例を見てみましょう。
程氏八卦掌を創始した程廷華は、義和団の乱の最中、横暴な振る舞いをするドイツ兵を見て義憤に駆られ、戦いを挑みます。
たった一人で連隊を相手にして機関銃の掃射で命を落とすまで、実に20数人のドイツ兵を殺傷したそうです。
軍事訓練を受けた兵士が多人数で銃を持って掛かっても歯が立たなかった、という事ですから、想像を絶する戦闘力です。

管理人は色々な先生を見てきましたが、このエピソードは決して大げさではない、と感じております。
こうした技能が暴走した時の事を考えると実に恐ろしいわけです。
武術を学ぶ人間には自分を律する心が絶対必要という事はご理解頂けるでしょうか。

しかしながら、物事というのは全てがトレードオフで成り立っています。
人を素手で殺傷出来るようなパワーと技術を身につけるのは並大抵の事ではありません。
全てをここにつぎ込む、ぐらいの労力が必要でしょう。
途方もない努力をするための一番のエネルギー源は何だと考えられるでしょう?

その一つは「コンプレックス」ではないでしょうか。

全てが満たされていたら何かを渇望するような衝動は生まれません。
「こんなに弱い自分を何とかしたい!」
「人に認められたい!」
「馬鹿にした連中を見返してやる!」
という怨念にも似た情念を抱くからこそ練習に打ち込める訳です。
強くなるためには何でもやる、という人ほど、大きなコンプレックスを抱えているのではないでしょうか。

話をトレードオフに戻すと、このようにコンプレックスを元に武術にのめり込んだ場合、確かに身体能力は著しく向上するかも知れませんが、それと引き換えに「心」の問題は解消されないと考えられます。
強くなればなるほど当面の敵がいなくなるので心は満たされたかの様な錯覚を生じる。
それは単に優越感を持っただけなのを全てが強くなった、と勘違いしているに過ぎません。
心は依然コンプレックスを抱えたままです。
厳しい言い方をすれば、心の闇から目を逸らして体の鍛錬に逃げているだけ、なのです。

もうお気づきかと思いますが、「先生」と呼ばれるほど強い人の中には、心の問題をそのままにして能力だけ高めてしまっている方がいる、ということです。

大変長い前振りでしたが、ここからは先生の「人間性」の見抜き方について考察します。

まず、あからさまに横柄な人はアウトです。
分かりやすいので教室を見学していれば瞭然かと思います。
普段の振る舞いからしても我侭というか、自分の都合しか考えない。
一般的な常識に欠けている。
社会人として落第な方々なので、このような先生とはよっぽど切羽詰まっていなければ関わりを持たない方がよろしいでしょう。

分かりにくいのが表面的には丁寧な対応をしているけど、実は・・・というタイプ。
付き合っていく内に段々支配的になってくる先生です。
普段は静かだけど、なにかのスイッチが入るといきなりキレたりする人もいます。
このような方を見抜くには、常に一緒にいる弟子への接し方を観察すると良いでしょう。
例えば、師範代とか長く教室にいる生徒さんをアゴで使ったり、小間使いの様にあしらったりするのを見たら要注意です。
もしこうした先生につくと最初は親切にしてくれますが、つき合いが長くなるにつれてぞんざいになったり、子分扱いを受けます。
先生本人は面倒見が良いつもりなので余計始末が悪い。
親しくなった人に、かつて重要だった人物(親、親族など)へぶつけられなかった感情を代わりにぶつける「転移」を起こしていると考えられます。
また、弟子を一段低く見ることで相対的に自分を高い位置に置きたい、という心理なのでしょう。

他流を一切認めないとか、他の師範を貶す先生も危険です。
こういう人は自分に自信がないから他のものを排除したり、下に見たりしたくなるのです。
他流から教えを請いに来た生徒に辛く当たったり、嫌がらせして追い出そうとしたりします。
充分に練習して自分の流派に誇りをもっている先生は、他流の先生も同じ様に練習に励んで流派を大事に思っているだろう、と考えるので、相手を尊重します。
それに「上には上がいる」ということを理解しているので、自分より強い人を認めています。
無理に「自分の方が上だ!」と思い込む必要がないのです。

ユングの心理学では、自分の認めたくないイヤな部分の事を「影」と呼び、個人における代表的なコンプレックスとしています。
この「影」と真正面から向き合い、自分の中に受け入れる事が精神の成熟につながるそうです。
上記の問題ある先生方は、自分の「影」に怯え、人に気づかれたり触られたりする事を恐れるあまり横柄な態度を取ったり、人より一段上にいるような状況を作り出したりするのでしょう。

武術に逃げ込まず、しっかりと「影」と向き合った人こそ「良い先生」だと思います。
こうした先生は人間の暗い部分、弱いところについて深く掘り下げているため、生徒の「影」の事も理解してくれる筈です。
武術は殺傷の技術ですから、自分に、更には人間に悩みぬいた先生でなければ教える資格がない、と言ったら厳しすぎるでしょうか。

「みだりに師につくな」
「3年師を探せ」
という格言は、こうした事を踏まえてのものだと考えられます。
技術・人格共に兼ね備えた先生を見つけるのは、宝探しみたいなものですね。

ちなみに管理人の理想の師のイメージは映画「ベストキッド」のミヤギ先生です(笑。


さて、次回のコラムは「良い師を求める・その3(最終回)」です。
(まだやるのかよ?というツッコミはスルー致します(笑)






スポンサーサイト

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © 武術練習会の研究開発日記 All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。